屋根裏部屋でホコリをかぶっていた本を引っ張り出して来ました。ちょっと気になった部分だけを取り出して「個人の感想」を書いてます。
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>男性の言葉に何度もうなずいていた雅子さまは、会場を去る時、男性に声をかけ、「命のかけら」という表現に対する深い共感を伝えられたという。

雅子さまのこの感性こそ、真に慈愛の皇后のお姿ですわ。
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ジアイということばが不穏すぎる
管理人様のおっしゃることはわかるのですが、ジアイという語彙にもうイヤーな臭いがついちゃっているから。
ジアイなんて言葉じゃ無くて語って頂きたいと思うし、
ジアイなんて言わなくとも、雅子皇后の御心の深さは伝わってくるように思います。

共感、あるいは畏敬でしょうか。
雅子様が感動された「命のかけらの受け渡し」って。
雅子様の感性には、純でひたむきな繊細さがあります。
他者への深い共感と畏敬の念があると思います。
ジアイなんて嘘くさいことば(になってしまったことば)で讃えなくても良いのでは。

ペリドット 2016/07/31(Sun)10:33:24 編集
Re:ジアイということばが不穏すぎる
>管理人様のおっしゃることはわかるのですが、ジアイという語彙にもうイヤーな臭いがついちゃっているから。
>ジアイなんて言葉じゃ無くて語って頂きたいと思うし、
>ジアイなんて言わなくとも、雅子皇后の御心の深さは伝わってくるように思います。


うふふ、そうなのよねー>ジアイという語彙にもうイヤーな臭いがついちゃっているから。
この頃、ミテ子さまと絡めて(含む「比較」)語るのはやめた方がいいかな、と思っているんですよ。
皇太子さまは皇太子さま、雅子さまは雅子さまだからね。

讀賣が「共感」を使ったのは「若い人」に対応させてかな、と考えたんで、あえて同じ言葉を使うのはやめたのね。
私は何となくそこに「若い人へのアピール」(ま、それが目的だから妥当な言葉だと思うんだけど)を感じて、それは讀賣がわざわざ入れたんだと思ったので。
「畏敬」、これもいいね。
人智を超えて感じるもの、確かに皇太子ご夫妻はそれに対して謙虚であられると思う。

でも私は困ったことに「慈愛」という言葉が好きなんだよね。
この「じんわり感」っていうの?
主として香淳さまから引き継いでいるんだけどw
「命のかけら」という言葉を、うなずきながら聴いておられた雅子妃殿下のその時の心持ち、じんわりじんわりと沁みて行くさまが感じられて、8年かけて授かった敬宮さまに「生まれてきてありがとう」っておっしゃった時も、この「じんわり」があったよなー、って思ったんだわ。

雅子さまが皇后になられた時、お示しになるのはやはり「慈愛」じゃないかと思うんで、何とか名誉挽回させたいんだけどw
他に何かないかしら?

------

表題だけ直したwシンプルに、どーだ?

類語見たんだけど、「慈しみ」っていうと、やっぱり

賛美歌312番

思い出しちゃうのでw

小さい時、日曜学校へ行かされてて、その時歌ったのが刷り込まれてるんです。
曹洞宗の家なのに、何だろね、この多神教ぶりw

【2016/07/31 11:35】
「慈」がイヤなのかも
「慈」いつくしむ。情けをかける。恵み深い。(デジタル大辞泉)この何か上から目線臭がジアイの「自」ともあいまって、ミテコ臭の語彙になっちまったというイメージなんですね。

雅子様を見ていて思うのは「悲」です。
「サンスクリットでマイトリーmaitrīあるいはカルナーkaruṇāという。慈と悲と区別していう場合は慈がマイトリー,悲がカルナーに相当する。慈は人びとに楽を与えること,悲は人びとの苦を抜いてあげることをいう。」(世界大百科事典)

「悲」は漢字の意味だと、「悲しむこと」「情け深いこと。恵み」ということになるのですが、何でしょう、「慈」よりももっと一緒に苦しみ悲しむ、上からじゃなくて寄り添う人というイメージがあります。

これに「愛」をくっつけて「悲愛」という語となると、語としては熟していなくて、一般的じゃないですが
>イエス・キリストを知っていますか? 悲愛をもって小さな人間に寄り添い、共に悩み、ともに泣いてくださるお方。どんなことがあっても、決して私を置き去りにはしないお方。それがイエス・キリストです。
>「悲愛」とは神の愛をあらわすギリシャ語「アガペー」を邦訳したものです。「悲愛の人」とはイエス・キリストをあらわします。
(島田真澄著 「聖書入門」 福音社)

なんてのがヒットします。
私の中での雅子様のたたずまいのイメージはむしろこちらですね。 
何だかジアイさま以上にキリスト教っぽくなっちゃったけど、仏教でいえば観音様でしょうか。
(観音様って「大悲」とも呼ばれるはず)

誰よりもつらく、一時は自分自身を否定するところにまで追い込まれて、それでも、という道のりのなかで掴まれた何かが雅子さまにはあると思っています。
その御心の深さが好きです。
ペリドット 2016/07/31(Sun)11:40:36 編集
Re:「慈」がイヤなのかも
>「慈」いつくしむ。情けをかける。恵み深い。(デジタル大辞泉)この何か上から目線臭がジアイの「自」ともあいまって、ミテコ臭の語彙になっちまったというイメージなんですね。


私これでも、ない脳みそを絞って、文章書いているんで(皇太子ご一家の場合だけ)、こういうコメントもらうと嬉しいです。
一応、誰か知らない人がここへたどりついて、気まぐれに読んでくれた時、特に雅子さまのことをわかってほしいと思っているので(メディアによって、あまりにも激しく、一般人も誤解してしまう表現でバッシングされたから)。


>雅子様を見ていて思うのは「悲」です。
>「サンスクリットでマイトリーmaitrīあるいはカルナーkaruṇāという。慈と悲と区別していう場合は慈がマイトリー,悲がカルナーに相当する。慈は人びとに楽を与えること,悲は人びとの苦を抜いてあげることをいう。」(世界大百科事典)

慈は「マイトリーmaitrī」なのね。
オウムにマイトレーヤと言うヤツがいたけど、上祐だっけ?
やっぱり「慈」はやめとこうかw


>「悲」は漢字の意味だと、「悲しむこと」「情け深いこと。恵み」ということになるのですが、何でしょう、「慈」よりももっと一緒に苦しみ悲しむ、上からじゃなくて寄り添う人というイメージがあります。
>
>これに「愛」をくっつけて「悲愛」という語となると、語としては熟していなくて、一般的じゃないですが
>>イエス・キリストを知っていますか? 悲愛をもって小さな人間に寄り添い、共に悩み、ともに泣いてくださるお方。どんなことがあっても、決して私を置き去りにはしないお方。それがイエス・キリストです。
>>「悲愛」とは神の愛をあらわすギリシャ語「アガペー」を邦訳したものです。「悲愛の人」とはイエス・キリストをあらわします。
>(島田真澄著 「聖書入門」 福音社)
>
>なんてのがヒットします。
>私の中での雅子様のたたずまいのイメージはむしろこちらですね。 
>何だかジアイさま以上にキリスト教っぽくなっちゃったけど、仏教でいえば観音様でしょうか。
>(観音様って「大悲」とも呼ばれるはず)



へぇ、知らなかったわ。有難うございます。


>誰よりもつらく、一時は自分自身を否定するところにまで追い込まれて、それでも、という道のりのなかで掴まれた何かが雅子さまにはあると思っています。
>その御心の深さが好きです。


うんうん、一緒。
【2016/07/31 11:59】
ありのままのご様子が素晴らしい!
讀賣の「皇室ダイアリー」は、好感の持てる記事が多いですね。

今回も、「献血運動推進全国大会」ご出席の東宮ご夫妻のありのままのご様子を書くだけで、読者の心に自然と温かいものを生じさせる記事になっています。

両殿下の、未来を見据えた視点も、本当に素晴らしいと思います。
手白香 2016/07/31(Sun)12:17:12 編集
無題
>「命のかけら」


筆舌に尽くしがたい苦しみを、悲しみを、辛さを飲み込んできた雅子妃だからこそ、東宮様も、「命のかけら」という表現に深く共感されたのでしょう。

ジアイ専売特許のミテコなら.....共感するフリぐらいはしたかもね。
キメラ 2016/07/31(Sun)14:45:06 編集
今だから申し上げたい
 何も並外れてすばらしいお心をお示しいただく必要はありません。

 「あたりまえ」のお心で十分です。

・物事を教えてもらったら、教えてくれた人に感謝をして素直に聞き入れる「あたりまえ」の感覚

・ご自身の境遇にご不満をお持ちでも、お身内をなくされた(しかも逆縁)ばかりのご両親に物を言いに行くのは控えようという「あたりまえ」の感覚

・娘には、たとえ顔がザンネンでも、その年齢に似合った装いをさせるという「あたりまえ」の感覚

・長男が妻を迎えたら、まず親戚縁者に「よろしくしてやってください」と率先して交流をするきっかけを作る「あたりまえ」の感覚
(ま、お膳立てがなくても、お嫁様はご自身できちんと交流なさっておられますが…)

・何かと長男に対抗意識を燃やす次男に対し、立場を諭す「あたりまえ」の感覚

・孫が誕生したら、性別関係なく心からその誕生を喜ぶ「あたりまえ」の感覚

 本当に、それだけで十分です。

 はい、申し上げたいのは平成の皇太子ご夫妻にではなくて…(以下略)
まご 2016/07/31(Sun)17:03:18 編集
見て子さま「自愛」慈愛ではありません
今の皇室で、汚されたものはいっぱいあります。
コーム、自愛、私的な・・・、ショーライのテンノ―、宮家のナイシンノ―、皇族なのにICU,行くのならアキヒトさん見て子さん行ってほしい。
自愛は見て子さま
慈愛は雅子さま
魚茶 2016/07/31(Sun)17:23:00 編集
菩薩と如来
>オウムにマイトレーヤと言うヤツがいたけど、上祐だっけ?

マイトレーヤは弥勒菩薩のことです。
弥勒とは音写で、慈しみの菩薩という意味です。
ミトラ神がその語源だという説もあります。

「上祐」や「慈愛をミテコ」のためにいい迷惑を被っておられますな。

女性を菩薩に例えることはよくありますが、皇太子妃雅子さまは幾多の苦悩を乗り越えてこられたことを考えますに、ブッタの修行中の姿である菩薩を超え、悟りを開いた如来ではないかと思うのであります。

飾りを必要としない、その存在が光である如来ではないかと思うのであります。

三田村金魚 2016/07/31(Sun)20:18:47 編集
かなし
「愛」も読みますね「愛し(かなし)」

嫌なのは慈愛ではなく自愛だから。
しかも、それを押し売りするから。

昭和の皇后さまはやはり“慈”の方だったイメージがあります。
別に押しつけられたわけでもなく、マスゴミがそんなこと言っていた記憶もありませんが、“慈”のイメージ。

「皇族は感情を表に出してはいけない」と言う人もいますが、雅子さまは相手の思いを受け止められるイメージ。
時にそれで感情があふれる。
芯はお強いのでしょうが、キャリアウーマンとして颯爽と歩いていらした頃とは違って、柔らかいイメージがあります。

正田美智子?
あの人は女優でしょう(もうカタカナでコーゴーと書くのも嫌になった。ヘーカも同様)
しらたま 2016/07/31(Sun)21:22:42 編集
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