屋根裏部屋でホコリをかぶっていた本を引っ張り出して来ました。ちょっと気になった部分だけを取り出して「個人の感想」を書いてます。
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皇室とは関係ないが、「米韓同盟消滅」の著者鈴置高史氏は

専門家とは利害関係者の別名である。国益よりも、自分や属する組織の利益を優先しがちだ。そのうえ情報をもっともコントロールできる人たちでもある。専門家は専門家だからこそ本当のことを言わないのだ。

とバッサリ切って捨てる。

南北朝鮮の国、あるいは朝鮮人に対する考えというより皮膚感覚みたいなものからシンシアリー氏の著作を知り、ブログも読むようになってから、何か日本にも似た集団がいるなと思い、皇位継承の一番のキモは男系男子だ!とツバを飛ばす「専門家」たち(いかにもな大学のセンセも含む)が南朝鮮人の思考に似ていることに気がついた。

彼らは初代神武天皇から皇位継承は男系男子を以て連綿と続いて来た、女性天皇はいずれも男性天皇へ渡すための中継ぎであり、自身の子どもを作らなかったと言う。それもいかにも専門家づらをして。

宮内庁に奉職していたというお方のブログに宮本某(実はゴキ妃の弟だという噂もあるw)というこれまた専門家づらした男が、新しい専門家を引っ張って来た。

敬宮さまを天皇にと望む声が大きいが、即位すれば生涯未婚を強いることになる、そんなの可哀想でしょ、だからやめてあげようね、と「情(韓国式に言うとジョンかえ?)」に訴える。
情だけでは弱いとみたか、新しい専門家、古代史のプロw遠藤みどりという研究者の著書から適当に引用している。

当時の貴族社会には父系帰属主義が浸透していたのである。これは皇位だけでなく、皇親や貴族の地位の継承が男系を通じて行われていたことからも窺えるだろう。
遠藤みどり『日本古代の女帝と譲位』(塙書房、2015年)

遠藤みどりサン、2020年4月現在、お茶の水女子大学助教さんですって。

ふ~ん。

しかし、父系帰属主義が浸透していたとか地位の継承が男系を通じて行われていたとか、結論だけ書いて、信じろというのはいささか乱暴ではないか?
学者とか研究者とか言うなら、たとえ1行でも論拠を上げるべきで、宮本某も大学のセンセの言説をわざわざ持って来るなら引用部分がずれている。

ウリはいつも正しい、根底にこの韓国人論理があって、この論理はオールマイティ、全世界で通じると思っているらしいが、このままでは通らないだろう。

東京大学文学部国史学科を卒業し、大学院に在籍するも翌年3月宮内庁書陵部勤務、編修課皇室制度調査室長、宮内庁編修調査官、宮内庁編修課長、正倉院事務所長と宮内庁畑を歩き、日本歴史学会理事や評議員を務めた橋本義彦氏は古代の皇位継承についてこのように語っている。

7世紀末までの皇位継承を《古事記》《日本書紀》によってみると,16代の仁徳天皇まではほとんどが父子間の直系相続であり,仁徳以後持統までは,父子間相続6,母子間1,兄弟間10,姉弟間2,叔父・甥間1,夫婦間2,三親等以上をへだてた相続3の計25例で,兄弟相続が多い。応神・仁徳を境として,皇位継承の原則に大きな変化が起こっているように見える。しかし,父子直系相続は7世紀末以降の天皇の目ざした皇位継承法であり,兄弟相続は日本固有の継承法であることからすると,応神以前の直系相続は記紀編纂の過程で作為された可能性が強い。また,記紀にみえる天皇の名称をみると,7,8,9代の孝霊,孝元,開化と41,42,43,44代の持統,文武,元明,元正はヤマトネコ,10,11代の崇神,垂仁はイリヒコ,12,13,14代の景行,成務,仲哀と34,35代の舒明,皇極はタラシヒコ(メ),15,17,18代の応神,履中,反正と38代の天智はワケ,27,28,29代の安閑,宣化,欽明はクニオシという称をもつというように時期により特色があり,それらを検討すると,7~9代の名称は持統以下の名称を手本に,12~14代の名称は舒明,皇極の名称を手本にして作られたと推定される。これに加えて記紀には9代までの天皇の事績については神武以外ほとんど所伝がないこと,10代の崇神が初代の天皇を意味する所知初国(はつくにしらす)天皇の称号をもつことなどから,9代までの天皇の実在性は疑われている。10代以後も,皇居や陵墓の所在地や称号の変化などから,10~12代の天皇は大和を根拠としていたが,15~25代の天皇は河内平野を主要な根拠地とする別系統の天皇ではないかとして,前者を三輪政権(初期大和政権),後者を河内政権と呼ぶ説もある。同様に26代の継体以後の天皇もそれまでとは別系統の天皇とする説もある。これらの説に従えば,古代の皇位継承は,10代の崇神以後2度断絶したが,6世紀中葉以降に,万世一系の思想により崇神からはじまる一系統の系譜にまとめ,さらに崇神以前の系譜をつぎ足したということになる。しかしこれも一つの解釈ないし仮説であって,古代の皇位継承にはなお多くの疑問が残っている。

皇嗣の冊定
大化以前の皇位継承については,天皇が任意に選定したとする中田薫の選定相続説,天皇が神意により卜定したとする滝川政次郎の卜定相続説,末子相続から兄弟相続への移行を説く白鳥清の兄弟継承説,あるいは大兄(おおえ)(同腹中の長子)からその兄弟,ついで大兄の子の順に継承反復したとする井上光貞の大兄相続説などがある。そして天智朝に至り,中国より継受した嫡長子相続主義にもとづく皇位継承法が定められたとも説かれている。しかし爾後の実例に徴すると,皇嗣の選定は,嫡系男子の優位を認めながらも,天皇(あるいは上皇)の勅定するところであり,明治の皇室典範制定以前は,立太子の詔において初めて皇嗣を冊定するのを本則とした。ただ立太子の儀はときに省略された例も少なくなく,ことに室町時代から江戸初期にかけて中絶したが,霊元天皇がこれを再興するに当たり,立太子に先立ち朝仁親王(東山天皇)を儲君(ちよくん)に治定したのが例となって,明治の嘉仁親王(大正天皇)の立太子に至るまで,儲君治定が実質的な皇嗣冊立を意味した。
 
皇位継承の資格
皇位継承者は,いうまでもなく皇親に限られる。推古天皇をはじめ皇后から皇位を継いだ例も数例あるが,皇曾孫の皇極,皇孫の元正以外の女帝はみな皇女である。継嗣令に〈女帝子〉の語が見えるから,令制では女帝の存在を公認しており,江戸中期の後桜町まで10代8女帝が生まれたが,いずれも中継ぎ的色彩が濃く,やはり皇男子の継承が本則であったとすべきであろう。平安・鎌倉時代には,いったん臣籍に降下したのち,さらに皇籍に復した例が数例あり,そのうち光孝の皇子定省(宇多)は皇位にのぼったが,やはり変則であろう。
 
皇位継承の原因
上古の皇位継承は,天皇が没することによって行われたが,645年(大化1)皇極が孝徳に皇位を譲って譲位の例を開いてからは,明治まで87代中(北朝天皇を除く)56代の天皇が譲位によって皇位を継いだ。天皇譲位の場合には,皇嗣が禅(ゆずり)を受けて直ちに践祚(せんそ)するのを常例としたが,天皇が没した場合には,没時と践祚との間に時日を要した例も多く,ことに上古においては数年月を経ることもあった。また鎌倉時代以後は,皇嗣の選定について朝廷と幕府の間の交渉に日時を要した場合も数例ある。なお斉明の皇太子中大兄(天智天皇),天武の皇后鸕野讃良(持統天皇)は,天皇没後,皇位につかずに数年にわたり執政したが,これを〈称制(しようせい)〉といった。81代安徳が平氏に擁されて西海に幸した後,京都において後鳥羽が践祚し,1年余にわたって2人の天皇が存立し,また96代後醍醐の譲位否認のもとで光厳が践祚し,爾後50余年にわたって南北両朝が併存対立した。また天皇がいったん譲位したのち,再び皇位についたことが2度あり,これを重祚(ちようそ)という。35代皇極が重祚して37代斉明となり,46代孝謙が重祚して48代称徳となったのがそれで,ともに女帝にして,特殊な政情によるものである。

特に男系男子派のむちゃくちゃな論理に対して言いたいことは

・6世紀中葉以降に,万世一系の思想により崇神からはじまる一系統の系譜にまとめ,さらに崇神以前の系譜をつぎ足した

・古代の皇位継承にはなお多くの疑問が残っている。

・皇嗣の選定は,嫡系男子の優位を認めながらも,天皇(あるいは上皇)の勅定するところであり,明治の皇室典範制定以前は,立太子の詔において初めて皇嗣を冊定するのを本則

・継嗣令に〈女帝子〉の語が見えるから,令制では女帝の存在を公認


女帝を認めていて別に中継ぎ的色彩が濃いが、だからと言って未婚で無くてはならないと定められているわけで無く、また男性の場合も変則的な継承も見られるということである。
決まっていたわけでもなく、現在の皇位継承において大きく関わる理由にはなりえないということがこれでわかろうというものだ。



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神功天皇。
神功皇后は、
「皇后なんですから!いいですか?
皇后!天皇の配偶者にすぎない!」
皇統譜からはずし、わざわざ否定したのが大正15年。
このあたりの皇族の実在は眉唾モノですが、
それなら天孫降臨はもっとあやしいでしょう。
それに乗っかった男系男子絶対主義も虚構すぎ。
あと数年はゴタゴタします。
しかし、それから一気にカタがつく。
射手座 2020/05/27(Wed)10:01:43 編集
強引な結論づけは、誰かとソックリ
宮本某の引っ張ってきた専門家さん。
お茶大公式サイトの教員紹介ページで、ご本人が研究テーマについて語っておられるので、一部を引用します。

http://www.li.ocha.ac.jp/ug/hum/history/teacher/endo/endo.html

>近年の研究で、古代ではそれ以降の時代に比べ、女性の地位が高いことが明らかにされていたこともあり、古代の女性の地位の高さと女帝の出現には関係があるのだろうと、最初は女性史や家族史を中心にアプローチしようと考えていました。しかし、さまざまな文献を読んでいくなかで、女帝について明らかにするためには、女帝だけではなく、天皇そのものについて研究する必要があるのだと思い至り、女帝とともに天皇制成立期に特徴的に現れる譲位にも着目し、皇位継承の問題から古代の天皇について考えてきました。

彼女がどういう傾向の研究者なのかは、今のところ私には判らない。
でも宮本某が、彼女の一著作のみから自分に都合の良い部分(「当時の貴族社会には父系帰属主義が浸透していた」など)だけを適当に引用して自分の主張の結論づけの根拠とする行為は、彼女の研究全体への冒涜では?と思ってしまいます。
(そう言えば、学者の著書の中から都合の良い部分だけを引用して自分の結論に強引に繋げるやり方は、かのヒワイのお家芸でしたっけ・・・)
手白香 2020/05/27(Wed)11:28:06 編集
連投失礼します
さて、管理人様が詳しくご紹介してくださった橋本義彦氏。この方は史料研究を地道にコツコツなさってきた方なので、実証的で信用度が高いですね。
まず注目したのは、ここ。

>仁徳以後持統までは,父子間相続6,母子間1,兄弟間10,姉弟間2,叔父・甥間1,夫婦間2,三親等以上をへだてた相続3の計25例で,兄弟相続が多い。

仁徳~持統天皇迄の期間での様々な相続形態の例として「母子間1」とありますが、コレは明らかに、斉明天皇(母)から天智天皇(息子)への皇位継承を指していますね。
当時の人々は新帝・天智のことを、「亡き母帝の跡を継がれた方」と受け止めていたことでしょう。
(父の舒明天皇は遙か昔に崩御。当時の人々の記憶からは薄れていたのでは?)

次に、この部分。

>皇位継承者は,いうまでもなく皇親に限られる。推古天皇をはじめ皇后から皇位を継いだ例も数例あるが,皇曾孫の皇極,皇孫の元正以外の女帝はみな皇女である。

ん?元正天皇は男系から見ると皇孫だけど、母は元明天皇ですから皇女ですよね。
(と言うか、それ以前、弟が文武天皇として即位した時点で天皇の姉として皇女とされた)
橋本氏自身がこの直ぐ後に、こう書いている。

>継嗣令に〈女帝子〉の語が見えるから,令制では女帝の存在を公認しており,

この部分は、もう少し詳しく読む必要がある。
『養老令』「継嗣令(けいしりょう)」皇兄弟子条の『女帝子亦同(女帝の子も亦〔また〕同じ)』との記述、なんですよね。
律令制定後、天皇(女帝も含む)の子である皇子・皇女は親王・内親王とされた(今と違って皇孫は「王・女王」)
で、先程の継嗣令との兼ね合いで考えても、父は即位前に亡くなったが弟と母が即位した元正天皇は、れっきとした皇女なのです(律令制以後は内親王)。

こういう点は、橋本氏の限界かも知れません(もう亡くなられた方でしたね)。
でも、橋本氏の語られたことで重要な4つの論点(管理人様が赤字で書かれた部分ですね)は、いずれも男系男子カルトの"デタラメファンタジー"を突き崩す根拠としては十分な力があると思います。

*補足
このブログに集う皆様はご存じのことと思います。
元明天皇の娘で元正天皇・文武天皇の妹である吉備内親王は、天武天皇の孫の長屋王の妃でした。
彼女の産んだ子どもたちは、男系からだと皇曾孫ですが、母方の祖母元明天皇の在位中に、皇孫扱いになっておりますよ。
手白香 2020/05/27(Wed)12:17:58 編集
「浸透」ということば
2 思想・風潮・雰囲気などがしだいに広い範囲に行きわたること。「新しい生活様式が国民に浸透する」(デジタル大辞泉より)

「浸透する」は、もともとあったのとは違うものが、外からやってきて、しみわたったという意味です。
そうですね、今年の夏休みぐらいには
「新しい生活様式が国民に浸透している」って言えるかもしれませんね。
でもご存じ、2020年の正月を迎えたころには「新しい生活様式」なんてものは、どこにもありませんでした。

「当時(8世紀?)の貴族社会には父系帰属主義が浸透していた」とは言えるでしょうが、4世紀、5世紀のころの日本が父系帰属主義だったということにはなりませんね。

日本古来は明らかに母系の強い双系帰属主義で、ちうごくから律令制とともに父系帰属主義が取り入れられ、8世紀には「貴族社会に」浸透していたというだけのことで、それ以前はそうじゃなかったし、貴族じゃない層はずっと双系帰属主義だったんじゃない?

たまたま8世紀以降浸透してきていたからって、それが絶対ってことないでしょう。
ペリドット 2020/06/05(Fri)16:11:57 編集
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