屋根裏部屋でホコリをかぶっていた本を引っ張り出して来ました。ちょっと気になった部分だけを取り出して「個人の感想」を書いてます。
[1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6
皇室とは関係ないが、「米韓同盟消滅」の著者鈴置高史氏は

専門家とは利害関係者の別名である。国益よりも、自分や属する組織の利益を優先しがちだ。そのうえ情報をもっともコントロールできる人たちでもある。専門家は専門家だからこそ本当のことを言わないのだ。

とバッサリ切って捨てる。

南北朝鮮の国、あるいは朝鮮人に対する考えというより皮膚感覚みたいなものからシンシアリー氏の著作を知り、ブログも読むようになってから、何か日本にも似た集団がいるなと思い、皇位継承の一番のキモは男系男子だ!とツバを飛ばす「専門家」たち(いかにもな大学のセンセも含む)が南朝鮮人の思考に似ていることに気がついた。

彼らは初代神武天皇から皇位継承は男系男子を以て連綿と続いて来た、女性天皇はいずれも男性天皇へ渡すための中継ぎであり、自身の子どもを作らなかったと言う。それもいかにも専門家づらをして。

宮内庁に奉職していたというお方のブログに宮本某(実はゴキ妃の弟だという噂もあるw)というこれまた専門家づらした男が、新しい専門家を引っ張って来た。

敬宮さまを天皇にと望む声が大きいが、即位すれば生涯未婚を強いることになる、そんなの可哀想でしょ、だからやめてあげようね、と「情(韓国式に言うとジョンかえ?)」に訴える。
情だけでは弱いとみたか、新しい専門家、古代史のプロw遠藤みどりという研究者の著書から適当に引用している。

当時の貴族社会には父系帰属主義が浸透していたのである。これは皇位だけでなく、皇親や貴族の地位の継承が男系を通じて行われていたことからも窺えるだろう。
遠藤みどり『日本古代の女帝と譲位』(塙書房、2015年)

遠藤みどりサン、2020年4月現在、お茶の水女子大学助教さんですって。

ふ~ん。

しかし、父系帰属主義が浸透していたとか地位の継承が男系を通じて行われていたとか、結論だけ書いて、信じろというのはいささか乱暴ではないか?
学者とか研究者とか言うなら、たとえ1行でも論拠を上げるべきで、宮本某も大学のセンセの言説をわざわざ持って来るなら引用部分がずれている。

ウリはいつも正しい、根底にこの韓国人論理があって、この論理はオールマイティ、全世界で通じると思っているらしいが、このままでは通らないだろう。

東京大学文学部国史学科を卒業し、大学院に在籍するも翌年3月宮内庁書陵部勤務、編修課皇室制度調査室長、宮内庁編修調査官、宮内庁編修課長、正倉院事務所長と宮内庁畑を歩き、日本歴史学会理事や評議員を務めた橋本義彦氏は古代の皇位継承についてこのように語っている。

7世紀末までの皇位継承を《古事記》《日本書紀》によってみると,16代の仁徳天皇まではほとんどが父子間の直系相続であり,仁徳以後持統までは,父子間相続6,母子間1,兄弟間10,姉弟間2,叔父・甥間1,夫婦間2,三親等以上をへだてた相続3の計25例で,兄弟相続が多い。応神・仁徳を境として,皇位継承の原則に大きな変化が起こっているように見える。しかし,父子直系相続は7世紀末以降の天皇の目ざした皇位継承法であり,兄弟相続は日本固有の継承法であることからすると,応神以前の直系相続は記紀編纂の過程で作為された可能性が強い。また,記紀にみえる天皇の名称をみると,7,8,9代の孝霊,孝元,開化と41,42,43,44代の持統,文武,元明,元正はヤマトネコ,10,11代の崇神,垂仁はイリヒコ,12,13,14代の景行,成務,仲哀と34,35代の舒明,皇極はタラシヒコ(メ),15,17,18代の応神,履中,反正と38代の天智はワケ,27,28,29代の安閑,宣化,欽明はクニオシという称をもつというように時期により特色があり,それらを検討すると,7~9代の名称は持統以下の名称を手本に,12~14代の名称は舒明,皇極の名称を手本にして作られたと推定される。これに加えて記紀には9代までの天皇の事績については神武以外ほとんど所伝がないこと,10代の崇神が初代の天皇を意味する所知初国(はつくにしらす)天皇の称号をもつことなどから,9代までの天皇の実在性は疑われている。10代以後も,皇居や陵墓の所在地や称号の変化などから,10~12代の天皇は大和を根拠としていたが,15~25代の天皇は河内平野を主要な根拠地とする別系統の天皇ではないかとして,前者を三輪政権(初期大和政権),後者を河内政権と呼ぶ説もある。同様に26代の継体以後の天皇もそれまでとは別系統の天皇とする説もある。これらの説に従えば,古代の皇位継承は,10代の崇神以後2度断絶したが,6世紀中葉以降に,万世一系の思想により崇神からはじまる一系統の系譜にまとめ,さらに崇神以前の系譜をつぎ足したということになる。しかしこれも一つの解釈ないし仮説であって,古代の皇位継承にはなお多くの疑問が残っている。

皇嗣の冊定
大化以前の皇位継承については,天皇が任意に選定したとする中田薫の選定相続説,天皇が神意により卜定したとする滝川政次郎の卜定相続説,末子相続から兄弟相続への移行を説く白鳥清の兄弟継承説,あるいは大兄(おおえ)(同腹中の長子)からその兄弟,ついで大兄の子の順に継承反復したとする井上光貞の大兄相続説などがある。そして天智朝に至り,中国より継受した嫡長子相続主義にもとづく皇位継承法が定められたとも説かれている。しかし爾後の実例に徴すると,皇嗣の選定は,嫡系男子の優位を認めながらも,天皇(あるいは上皇)の勅定するところであり,明治の皇室典範制定以前は,立太子の詔において初めて皇嗣を冊定するのを本則とした。ただ立太子の儀はときに省略された例も少なくなく,ことに室町時代から江戸初期にかけて中絶したが,霊元天皇がこれを再興するに当たり,立太子に先立ち朝仁親王(東山天皇)を儲君(ちよくん)に治定したのが例となって,明治の嘉仁親王(大正天皇)の立太子に至るまで,儲君治定が実質的な皇嗣冊立を意味した。
 
皇位継承の資格
皇位継承者は,いうまでもなく皇親に限られる。推古天皇をはじめ皇后から皇位を継いだ例も数例あるが,皇曾孫の皇極,皇孫の元正以外の女帝はみな皇女である。継嗣令に〈女帝子〉の語が見えるから,令制では女帝の存在を公認しており,江戸中期の後桜町まで10代8女帝が生まれたが,いずれも中継ぎ的色彩が濃く,やはり皇男子の継承が本則であったとすべきであろう。平安・鎌倉時代には,いったん臣籍に降下したのち,さらに皇籍に復した例が数例あり,そのうち光孝の皇子定省(宇多)は皇位にのぼったが,やはり変則であろう。
 
皇位継承の原因
上古の皇位継承は,天皇が没することによって行われたが,645年(大化1)皇極が孝徳に皇位を譲って譲位の例を開いてからは,明治まで87代中(北朝天皇を除く)56代の天皇が譲位によって皇位を継いだ。天皇譲位の場合には,皇嗣が禅(ゆずり)を受けて直ちに践祚(せんそ)するのを常例としたが,天皇が没した場合には,没時と践祚との間に時日を要した例も多く,ことに上古においては数年月を経ることもあった。また鎌倉時代以後は,皇嗣の選定について朝廷と幕府の間の交渉に日時を要した場合も数例ある。なお斉明の皇太子中大兄(天智天皇),天武の皇后鸕野讃良(持統天皇)は,天皇没後,皇位につかずに数年にわたり執政したが,これを〈称制(しようせい)〉といった。81代安徳が平氏に擁されて西海に幸した後,京都において後鳥羽が践祚し,1年余にわたって2人の天皇が存立し,また96代後醍醐の譲位否認のもとで光厳が践祚し,爾後50余年にわたって南北両朝が併存対立した。また天皇がいったん譲位したのち,再び皇位についたことが2度あり,これを重祚(ちようそ)という。35代皇極が重祚して37代斉明となり,46代孝謙が重祚して48代称徳となったのがそれで,ともに女帝にして,特殊な政情によるものである。

特に男系男子派のむちゃくちゃな論理に対して言いたいことは


・6世紀中葉以降に,万世一系の思想により崇神からはじまる一系統の系譜にまとめ,さらに崇神以前の系譜をつぎ足した

・古代の皇位継承にはなお多くの疑問が残っている。

・皇嗣の選定は,嫡系男子の優位を認めながらも,天皇(あるいは上皇)の勅定するところであり,明治の皇室典範制定以前は,立太子の詔において初めて皇嗣を冊定するのを本則

・継嗣令に〈女帝子〉の語が見えるから,令制では女帝の存在を公認


女帝を認めていて別に中継ぎ的色彩が濃いが、だからと言って未婚で無くてはならないと定められているわけで無く、また男性の場合も変則的な継承も見られるということである。
決まっていたわけでもなく、現在の皇位継承において大きく関わる理由にはなりえないということがこれでわかろうというものだ。





2020年1月20日午前7時
雅子皇后陛下のお名前を抜かした記事を配信


 


同 19時48分配信

「両陛下と愛子さま」とタイトルに書いたが、皇后陛下と敬宮さまがきちんと映っていない写真をわざわざチョイス

  


朝の配信に「皇后陛下」を入れなかったのは、「雅子さまの場合は体調によってご出席がかなわないことがありますから」とか何とか言い訳出来るように書いてるんだぜ、きっと。

愛子さま(敬宮さまと書け!)もご一緒のご予定なら天皇ご一家でもいいじゃないか、そんなに雅子さまの名前を書くのがイヤならね。
ご都合が悪くて本当に来られなかった時に、初めて「天皇陛下と敬宮さま」と書けばいいことじゃん?

報道機関なんだから、淡々とニュース記事を書いたらいいのに、頭おかしいんじゃないか?

つか、それほどまでに「雅子皇后陛下」を書きたくないなんて異常だね。











問2 即位の礼と大嘗祭に,皇嗣として臨まれた感想をお聞かせください。大嘗祭は,公費を充てる平成の方針が踏襲されました。殿下は昨年の記者会見で,天皇家の私費である「内廷会計で行うべきだ」と述べられましたが,現在もその認識にお変わりはないですか。来春に立皇嗣の礼を控える中,代替わり行事の望ましい在り方について,考えをお聞かせください。
秋篠宮皇嗣殿下

 そうですね。即位の礼,これは秋のことをおっしゃっていますか。即位の礼,一連の即位の礼において私も出席いたしました。そして,大嘗祭もそうですけれども,この両方の行事が無事に終わったことを安ど堵しています。正殿の儀の時には誠に多くの方が海外からもお越しくださり,その方々とお話しする機会もその日の夜ですね,得ることができ,私としても大変うれしいひとときでありました。また,これも即位の礼の一つですけれども御列の儀,その時私は何台後ろかな,供奉していたわけですけれども,非常に多くの人たちが沿道でお祝いをしてくれている様子を見て,大変有り難いことだと思いました。今回出席して,前回と一つ違うことがあって,これは正殿の儀になるんですけれども,前回は私の隣に今の陛下がおられて,私はそこで行われる所作を,分からなければ隣を見ていればいいと,そういう感じがあったんですね。これは大嘗祭もそうなんですけれど。今回はそれができない。ということは,恐らくほかの参列者は私に合わせるだろうと。ということから,やはりその辺りは少し緊張しましたね。やはり間違いないようにしなければいけないなというのがありました。その辺りは前回と今回で違ったことの一つかなと思います。
記者

 大嘗祭の支出についてなんですけど。
秋篠宮皇嗣殿下

 それについては今も昨年お話しした時と気持ちは変わりません。それからもう一つは代替わりの。
記者

 来春に立皇嗣の礼を控える中で,代替わりの行事の望ましい在り方についてお聞かせください。
秋篠宮皇嗣殿下
 代替わりの行事の望ましい在り方。大嘗祭については昨年お話をしましたけれども,その他の多くのもの,立皇嗣の礼も含めてですね,これは国事行為に当たりますので,ここで私の意見を言うのは控えたく思います。






関連質問 殿下は,4月に立皇嗣の礼に臨まれると皇嗣として次の天皇ということを国内外に示されることになります。あと20年たちますと,今の天皇陛下は80歳近くになられて,殿下は70歳半ばということになられるわけなんですけれども,仮にその頃,皇位継承というお話になった場合,大変御高齢での即位ということで,大嘗祭ですとか即位の礼という大きな儀式に臨まれることになります。一方で,現在の皇室典範には即位を辞退するという規定はないわけなんですけれども,大変恐縮なんですけれども将来の皇位継承の在り方について今の時点で何か殿下のお考えがあれば,お聞かせ願えませんでしょうか。
秋篠宮皇嗣殿下

 皇位継承の在り方は,そのシステムの問題になりますので,私から何か言うことはできません。ただ,今おっしゃったように,今非常に高齢社会になってますよね。それとともに確かに平均寿命は80幾つまで,健康寿命は70,10年くらいの差がある。いろんなその辺のばらつきなどもあります。それはもう本当に一人間がどの段階で何ができるかというのは,これはもう個体差になりますので,随分人によって違うのではないかなと私は思います。


Q: ペンギンに個体差はありますか?

A: はい、ございます。


ここで覚えたかなw



それより問題なのは、おまえのおとっつぁんが、ビデオレターなんつー禁じ手でシステムを変えさせたことなんだがな?

そして、どさくさ紛れに、おまえの「コーシ」が附則として付け加えられたんだけど。
天皇が即位された時に皇太子不在というのは過去にもあったんだけど、なんでわざわざコーシなんてものを作ってそこに特別に納まっているん?

そして 皇太子待遇 だけは要求して、それを享受してるじゃん。

国民も望まなかった「コーシ」がいつの間にかシステムに取り入れられていたこと、当事者としてはどう思ってんねん?

おらが決めたことじゃねーから知ーらんよ

てか?

あらがいもせずやすやすとそれに乗ったのはてめえだろ?

少し前には皇位継承のあり方について

や皇太子(今上陛下)の意見も聞く必要がある」

と、えらそーに言ってたじゃないか。

てめーの考えが言えないってなんだい?
図々しくも(今上陛下に対して)「身の丈発言」なんかしやがって、さらに宮内庁は聞く耳を持たなかったと会見でぶっこいたのは

いったいどこのどなたさんでしたかね?


次の天皇だということをわざわざ広く世界に宣明するんだぞ。

今上陛下は浩宮でいらした頃から、「将来天皇になる」ということについて、折々に「日々学び研鑽を積むこと」が重要だと考え、自分に努力を強いているというようなことをお話になっておられましたよ?

ヒトのせいにするんじゃねーよ。 

何がシステムだ(怒



※お言葉の重複や助詞など,わかりにくい表現の箇所は,若干の補足,修正をしてありますが,ご発言の内容は変更しておりません。


相変わらずかかれてますなw




とにかく「オレって何でも知っている」と威張りたがり屋のヒワイが、なにゆえ佐藤功著「君主制の研究」を持ってきたか?

手白香さまがおっしゃっているように、この本は1957年(昭和32年)に発刊された本である。
学習院大学はアキヒトさんの単位不足に特例を設けてくれなかった。
お妃候補には次々に逃げられて、「もしかしたら結婚できないかもしれない」とアキヒトさんが侍従に吐露していた時期である。
昭和帝が崩御された時、アキヒトさんには仕えたくないという職員が続出、アキヒトさんの手から勲章はもらいたくないという辞退者も出たり、何より次の天皇はアキヒトさんを飛ばして浩宮さまへという声もあった。

昭和の「東宮ちゃん」は、はやカリスマ性をなくしていて「アキヒトさんの最大の功績は美智子さんと結婚したこと」などと、美智子教祖をもてはやす新聞や雑誌も多かった。
今思えば、「美智子さんと結婚したこと」が最大のガンだったのだが、美智子さん程度の人しか嫁さんになってくれず、しかもその後宮中に「美智子女帝」として君臨するようになってしまったのも、もとはと言えば、アキヒトさんに「君主としてのカリスマ性」がなかったからだ。

まぁ、長い天皇家の歴史の中で、立派な天皇ばかりではなかったし、制度からして毎度毎度人品骨柄卑しくない人間を天皇にするのはムリがある。
だいたい、ヒワイ自身、徳仁皇太子殿下よりアホのアーヤの方がご立派だと褒め称えているのだから(どこがやo(`ω´*)oムッ)

「君主制の研究」について、高見勝利氏(上智大学名誉教授、去年の安部政権の自衛隊追記は「現憲法の視点から見れば、憲法廃止、9条の破棄だ」と吠えた御仁)は、

>この作品では、天皇制の問題が比較君主制度論の中に解消され過ぎている嫌いがあるが、しかし、先生の意図は、まさに「明治憲法の神権天皇制のためにいわばタブーとされていた」憲法学の立場からする君主制研究の空白を埋めることにあったのである。その意図は達せられたものの、学界では後続研究に乏しく、田中二郎編集代表『日本国憲法体系(3)統治の原理〔宮沢俊義先生還暦記念〕』(有斐閣、1963年)に寄せた「君主制と共和制――君主〔制〕的なものと共和制的なもの」とともに、現在に至るまで孤高を保っている。

と、このように評している。

学界では後続研究に乏しく、現在に至るまで孤高を保っている、ということは、後にも先にも君主制の研究はこの1冊くらいしかない、と言うことである。

それを引いてヒワイが君主制を語るのも片腹痛いのであるが、それは別にして、ヒワイが佐藤功教授教授のご著書から引用した部分である、これが大問題だ。

>①(略)このカリスマ性が色あせる時期が来ないとは限らないこと
>②(略)期待が幻滅の運命に陥る時期が来ないとは限らないこと
>③(政治的プレーに出場させることを回避する)この条件が失われることがないとは限らないこと

この本が1957年に書かれたものだと言うことを思い出して欲しい。

昭和32年に、男性皇族は何人いたか?

今、天皇制存続の危機は、カリスマ性だの天皇に対する期待だの、そういう憲法に書かれた幸福の追求、国民統合の象徴とは何ぞやという哲学的なものではなく、現実的な「男がいない」ことなのである。
「君主制の研究」は名著かもしれないが、60年を経た今、生物学上の問題点で、日本の天皇象徴制は座礁しかかっていることに対しては、あまり役に立ちそうもないということだ。

ヒワイが「皇太子さまには次の天皇としての明確なビジョンが見えない」と、悪口を書いているが、来年の5月には即位される。
しかし、いったい国民の何パーセントが現時点で徳仁天皇に不安を抱いてますか?

それと同時に、皇太子には出来ないが、コーシとして仕事をやってもらうんだから、33億のおうちを作ってあげましょう、その次はアワワの坊やしかいなくなるけど、ねーちゃんが2人いるから女性宮家作ってサポートさせましょう、こっちの方がよっぽど「カリスマ性が色あせる時期」「期待が幻滅の運命に陥る時期」で問題だと言わざるを得ない。

シマウマを目の前にして「シマウマの体高はどれくらいですか?」(今、目の前にいるだろーが、この高さだよっ!)
「ペンギンに個体差はありますか?」(あるに決まってんだろーがっ!)
こういうコーシ殿下である。
悪口ではない、事実だ。

親が親なら、子も子で、小学生にしては、どでかい信号機を作ったものの、簡単な足し算が間違っていたとか、小学5年生で自分の名前が漢字で書けないとか、もはや「期待が幻滅の運命に陥る時期」ではなく、期待しちゃいけない運命に陥っているのである。

ヒワイがドヤ顔で持ってきた「君主制の研究」名著には違いなかろうが、彼自身全然読んでないことは丸わかりである。

オレってただの皇室記者じゃないぜ、頭いいし、難しいことも知ってんだ、憲法の大先生だって、天皇の未来に不安抱いてんだぜー、ほれほれ、これだよ、この本だよ。

こんなところでしょうかね?


-----


実はかくいう私も読んでいません。
代わりに ↓ これを読みました。

http://www.jcl-classics.com/entry/2016/04/22 @rink


>とりわけ、そのテーマが、「君主制の研究」という、教授の学問的系譜の師父にあたるべき美濃部博士にとっては――そして多かれ少かれその直接の師たる宮沢教授にとっても――いわば呪わしい悲劇的運命を招いた、あの「天皇機関説事件」に深い関連をもつことを想うにつけ、日本国憲法の生誕を画期的分水嶺としての、この国の学問的風土の大転換があらためて感慨深く印象づけられずにはおかないのである
>明治憲法の時代、私が大学で憲法を勉強し始めた時期においては、天皇制の問題はまさにオフ・リミットの聖域でありました。(中略)天皇制の存在理由、その正当化、あるいはその歴史的な位置づけというようなことは、科学的な研究の名において、それを試みようとしても、厳しく弾圧されたわけであります。このような状況は天皇統治の基本原則そのものが否定された日本国憲法以後においては一変しました。これによって初めて天皇制が社会科学としての憲法学の対象となりうる条件が成立したわけであります。



佐藤功教授の天皇制の根本は「神権天皇制」と「天皇機関説事件」にあるようです。

私は研究者ではないので、今後もこの本を読むかどうかわかりません。

先に書いたように、戦後の象徴制における「昭和天皇」は、GHQによって生み出されたものという一面を持っています。
そして、現憲法の成り立ちはどうであれ、今現在私は、天皇を国民統合の象徴とする憲法を頂いている国に生まれ育ってきて、「ω持ちの子が、法律を少しいじくらないと皇太子(弟)になれぬ傍系に一人しかいない」という現実にいます。

そしてそして、「鮮やかな皇室の切り返し」「これで皇室は50年安泰」であったはずの〝ω持ち〟が誕生から12年経っても、誕生日映像としては、ねーちゃんとのシャボン玉遊びしかだせず、他人と普通にコミュニケーションがとれているかどうかもわからず、自分の経験からどんな考えを導き出しているのか、自分の将来について何か考えていることはあるのか、一切わからずじまいであるというのも現実です(敬宮さまは学校で書かれた作文や感想文である程度わかっています)。
大学で5年間もつきあった彼氏と「結婚する!」と天皇の裁可を経て発表した内親王は、延期の発表をした後だんまり、母親が「この結婚は潰す」という記事を出させ、「フィアンセではない」とアメリカの大学のHPから削除させるほどなのに、その彼氏を自邸に招き入れるのに「東宮ご夫妻」の留守に勝手に東宮御所正門をわざわざ開けさせて使わせた(これは警備上大変なことです!)。

「うちには皇位継承券が2枚もある!」だからカネクレ、ヒトクレと言う前に、この未来の象徴に対する幻滅をどうしてくれる、とボー系夫婦に小一時間


------- 

さて、ヒワイはどうして佐藤功教授を知っていたか?
「君主制の研究」は復刻版が出ました。
それで読んでみた?

イヤイヤ、彼は皇室に関して「オレが一番よく知っている」の男で、今まで何か学問的な論理でものを言ったことがありません(キッパリ
皇室と神道の関わりについて、雅子妃はほとんど知らないことなので(これは別に悪いことではないと思います)非常に熱心に勉強されました。
そして、「英語で書いた教科書のようなものはないか?」と周囲にお尋ねになったとか。

それにヒワイは噛みつきました。
アメリカで教育を受けた雅子妃は、日本人の「感覚」というものを持っていない、日本人の心というものがわかっていない、こう非難した、というより櫻井よし子相手にあざ笑うような言い方をしました。

しかし、それではヒワイは何がわかっているというのか?そもそも雅子妃がどのようなことを知りたくて「英語で書かれた神道の本」を求められたかわからないではないですか。

被占領国日本から昭和天皇を排除すべき、と強硬だったアメリカの人々は、日本では天皇は神として崇められ・・・という説明の「神」に激しく反応したといいます。
一神教であるキリスト教徒にとって、異教徒の神は当然受け入れられないものでした。
現実主義者チャーチルが天皇制廃止論者だったのは、案外、イギリス国民のエリザベス女王への崇敬と忠節に対立するものを、敗戦国日本がごり押ししては困る、というようなものがあったのかもしれません。

また、アキヒト&ミテコが行きたがって行きたがってとうとう出かけていった「天皇の島・ペリリュー」、日本軍は取り囲めばすぐ自分から玉砕してくれる、楽な相手」と言われていたのに、この島から戦い方を変えました。
いわゆるゲリラ戦で、相手の戦意喪失を誘うために、負傷させることを優先させ、「Three days Maybe Two」とタカをくくっていた誉れ高き第一海兵師団は壊滅させられ、リュパータス師団長は更迭されます。

太平洋艦隊司令長官のニミッツ海軍大将は著書『太平洋海戦史』で、「ペリリューの複雑極まる防衛に打ち勝つには、米国の歴史における他のどんな上陸作戦にも見られなかった最高の戦闘損害比率(約40%)を出した」と述べ、米軍兵士「日本軍は負けると判っている戦争を最後まで戦った。この忠誠心は天皇の力と知って、ペリリュー島を“天皇の島”と名付けた」と証言します。

激しい戦闘だったからこそ、戦後、日米の生き残った兵士たちに通う感傷はあったかもしれませんが、しかし、負傷者や戦死した兵士の遺族たちは“天皇の島”と名付けられたペリリュー、その「天皇」にどのような感情をいだいたでしょうね。

天皇象徴制における昭和天皇は、国内外の複雑な感情をはらんでの船出となります。

保守本流と自画自賛している渡部昇一は、「天皇は国と国民のために宮中で祈っていてくれればいい」と言いますが、成立直後から、そんなお気楽なものだけではないことが、どうしてわからないのでしょうか?

私は、ヒワイがあざ笑ったような理由(「英語でしか理解できないのでは、日本の本質はとうていわからないし、それでは皇太子妃など務まらない」)ではなく、ものの考え方の違い、世界に向けて日本(の神道)はどのように説明紹介されているかとか、何か割と実用的なことに使うために英語の本を探されたのではないかという気がしています。

神道を本質的に深く理解するためなら、皇太子さまがそもそも学習院大学史学科の研究員であり、文献や英語で書かれた論文も、こちらの方からたやすく手に入れることが出来るからです。


さて、佐藤功教授に戻りますが、安部ちゃんが憲法改正は党是だと力説して、力を入れていた時に、民主党の小西議員が安部ちゃんに「芦部信喜をしっているか?」と聞き、安部ちゃんは「存じ上げません」と答えたので、大騒ぎになりました。
憲法改正を言う人が、憲法学の第一人者芦辺信喜を知らないなんていかがなものか、と言うわけです。

これについては、安部ちゃんを擁護する記事を書いた覚えがあります。
安部ちゃんが芦部信喜を知らないのもムリはない、という意見です。
芦辺信喜氏は1984年まで東大で、その後学習院大学で教鞭を取っており、憲法学の本を書いたのは、1994年放送大学教授になってからです。
1954年生まれ、成蹊大学で行政学のゼミにいた安部ちゃんが、東大の憲法学の教授の名前を知らなかったとしても、別に不思議ではありません。

片山さつきが「私は芦部先生の直弟子」といばるのは、芦部憲法の講義を直々に受けていたからです。
この頃の地方の司法試験の受験者は、芦部教授の講義録を求めて、手を尽くしたものだそうです。
試験に出るのに、本がないのです。
東大の友達に頼んだり、講義録も売られているところがあったので、東京までわざわざ買いに行ったり。
「地方はこれだけでもハンディがある」とぶつくさ言っているのを聞いたことがあります。

そうそう、秋篠宮は知っていなくてはいけません。
1965年生まれのヤツは、学習院大学法学部で、芦部氏の憲法講義を受けていたはずです。

さて、安部ちゃんが小西議員に「存じ上げません」と答えた中に芦辺信喜氏ともう一人「佐藤」という名が出てきます。

憲法学の「佐藤先生」、これを「佐藤功」だとしている記事がこちらです。





しかし、法学部で学んだ人間に言わせると、「佐藤」は「佐藤幸治」だろうと言うのです。
芦部信喜も佐藤功も宮沢俊義門下だが、日本国憲法の二大巨頭は、宮沢門下の東大派芦部信喜、対するは宮沢を批判する憲法改正論派であり京大派の大石義雄に学んだ佐藤幸治。

なるほど、対立する二派でもって、憲法学を網羅しているわけですね。
ただこの佐藤幸治の憲法学の本、ぺらっぺらですがすごく難解で、読んでもわからないそうでw

ただ、私も佐藤幸治氏の方だろうな、と思うのは、こちらの佐藤氏は、君主制の研究ではなく、裁判員制度や法科大学院制度など、現在も非常にアクティブに社会的な活動を行っておられる。要するに「今の人」。

この人は小泉政権下の皇室典範改正の有識者会議のメンバーです。


この時も、八木とか「ωがついてなくてはなら~ん!」とか「万世一系男系男子で続いてきている」とか、言いたいことを言ったわけですが、その後で、「法に照らし合わせてどうなのか」と結論をまとめた専門家の中に、この佐藤幸治氏が入っているわけです。

------------

皇室典範に関する有識者会議(第14回)議事要旨
日 時: 平成17年10月25日(火)15:00~17:20
 
場 所: 於;総理大臣官邸 小ホール
 
出席者:
皇室典範に関する有識者会議メンバー
吉川 弘之 産業技術総合研究所理事長、元東京大学総長
岩男 壽美子 武蔵工業大学教授、慶應義塾大学名誉教授
奥田 碩 日本経済団体連合会会長
久保 正彰 東京大学名誉教授
佐々木 毅 前東京大学総長
佐藤 幸治 近畿大学法科大学院長、京都大学名誉教授
園部 逸夫 元最高裁判所判事
古川 貞二郎 前内閣官房副長官
◎=座長
政府側
二橋 正弘 内閣官房副長官
伏屋 和彦 内閣官房副長官補
風岡 典之 宮内庁次長
柴田 雅人 内閣総務官
千代 幹也 内閣審議官
角田 素文 内閣審議官
鈴木 武 内閣審議官
議事概要
(1) 意見の集約のための意見交換


憲法は象徴制と世襲制しか規定していない。「世襲だから当然に男系男子」との議論は、理論的には難しい。現実に125代男系で継承されてきたという事実はあるが、今回、こういう事態に立ち至って、憲法の角度から改めて考えてみると、国民が世襲制の天皇についてどう考えるかというと、男系に固執するよりも、親から子へと、直系で受け継がれることではないか。

天皇は、憲法では、国家・国民統合の象徴と定められているが、象徴に性別はないと考えるのが健全なのではないか。

皇族女子や女系皇族に皇位継承資格を拡大した場合、例えば、我が国で続いている旧習や伝承、また、日本の伝統的な家族の在り方は家父長制と考えて自らの家庭を維持しているような人々に、影響を与えるのかどうか。この点は、国民の支持という点とどのような関係があるのか。公的な決断が個人に何らかの影響を与えるとしても、決して強制的なものであってはならない。

私的な世界では、いろいろな考え方や家族の在り方があるのは当然。しかし、この有識者会議は、あくまで公的な制度である皇位継承制度について検討しているもの。


いろいろな思想や確信を持った国民があり、中には、女性や女系に皇位継承資格を拡大することに違和感を持つ方もおられるだろう。しかし、現行の憲法制定時に、象徴と世襲に絞ったことは大きな歴史の変化で、それはそれで国民は受け入れている。憲法との関係では、皇室典範に男系男子と規定する必要はなかったが、それまでの伝統に配慮して男系男子としたもの。それが、今は維持できなくなっているので、憲法に戻って考えるもの。


これまでの会議においては、委員それぞれが自分の意見を積極的に述べるというよりも、識者ヒアリングなどもしながらいろいろな論点を整理し、中間整理を公表するなど、一歩一歩進めてきた。国民の一部に非常に強い反対意見の方がおられるが、このような我々の会議の進め方を含め、大方の国民の理解は得られるのではないか。


女系の皇族に皇位継承資格を拡大した場合には、女系天皇の正統性に疑問が生じるとの議論をする方があるが、世襲で皇位が継承され、国民の積極的な支持が得られる限り、正統性に疑義が生じる余地はない。


今後、現行典範を改めずに男系男子で行けるのか、という点から考えると、複数配偶制の否定や少子化の状況の中で、確率的には男系男子の数は極めて少なくなることが、これまでの議論の中で明らかになった。仮に旧皇族が復帰したとしても、こういう状況では極めて不安定なものになる。また、皇籍復帰して皇位を継承することは、これまでの歴史の中で極めて異例であり、国民の理解も得られないと考えざるを得ない。


この会議に臨むに当たり、世論調査で何割だからどう、という発想をとるべきでないという考え方を一貫して持ってきた。他方、象徴天皇の制度は、国民の一般的な共感と支持がなければ存続できないわけであり、それを無視したようなことはできないことも厳然たる事実。その中で、現状がどうなのか、このままだと憲法の象徴天皇制度がどうなるのか、ということを考え、この会議として筋を通した結論を出すことで国民にも理解をいただけるようにするということではないか。


新しい皇室の姿は、皇室御自身の御努力と良識ある国民のバックアップがなければ成立しえず、それこそが今一番望まれているものなのではないか。


この有識者会議での結論に対する国民の支持は、手続的には、国会で議論していただくことであるが、有識者会議としても、国民の支持が最大限得られるよう、考えられる範囲で努力し、その結論が国民の意識と乖離しないことを意識して、議論を進めてきた。今後報告書を作成するに当たっては、多くの国民に受け入れてもらえるよう、表現なども含め、いろいろな点において工夫する必要がある。


この問題は、早期に結論を得ることが必要であるということも国民の方々に理解していただきたい。

(2) これまでの議論を踏まえ、皇位継承資格を皇族女子や女系の皇族に拡大する方向を基本に報告書の取りまとめに向けた作業を進めることで、意見の一致を見た。
 また、皇位継承順位については長子優先か兄弟姉妹間男子優先かという点に関しては、今後報告書について議論を行う中で意見の集約を行うこととなった。 
 さらに、皇族の範囲(永世皇族制か、世数限定制か)に関しても同様に、報告書について議論を行う中で意見の集約を行うこととなった。

(3) 今後は、11月7日(月)に開催し、次回は、報告書(案)の議論をしつつ、皇位継承順位及び皇族の範囲について意見の集約を行うこととなった。












皇室記者のくせに、「君が代」斉唱の時一人だけ起立しない男がいる!

岩井克己が皇室ウォッチャーたちに注目されたのは、このあたりからだった。

平成20年、北京オリンピック壮行会の会場である。

http://diary.onna-boo.com/?eid=308 @rink

↑ ここのブログ主はヒワイは極左であるとしているが、まぁ、どうなのかね?
もっとも極左と極右というのは、線の両端のようにも言われるけれども、輪っかにすると重なるように、離れたりくっついたり、普段からそれを使い分けていることが多いから、左派と言われる朝日新聞に君が代は拒否するが、皇室大事の人間がいてもおかしくない。

しかし、左だの右だのというより、ヒワイは、キコちゃんとフカヒレラーメンの仲wであり、キコちゃんの寝室一人涙も知っている仲wらしいところから、私は「キコちゃんを上げるために、とにかく雅子妃を下げて下げて下げまくれ」がポリシーのチンピラ記者ではないかと思っている。

30年、取材を続けてきたという、昭和の天皇制と平成の天皇制は違うという、そういう男が、アーヤの結婚とサーヤの結婚のスクープを取った、雅子妃の「妊娠の兆候」ではヘタをうった。
キコさんがω付きの子を仕込んだら、女国士の櫻井よし子と一緒になって「天下をとった」かのように大喜び。
女性天皇の話が持ち上がらないように、愛子さまを「不登校生」と決めつけるかのような記事を書き続け、我が子の気持ちに寄り添おうとする両親を「公務に支障をきたしている」、今上両陛下の後はとても継げない、廃太子して弟へ禅譲しろ、ざっとこんな記事しか書いてこなかった男ですぞ?

象徴天皇制のあり方を書くなら、そもそも昭和天皇が日本国憲法下で天皇(戦前とは違う)として残られたいきさつから論考を起こすべきであり、皇室を語るなら、昭和から平成にかけて(まだ皇位継承順位がついた男子がいたわけだから)宮家についても一考察あってもよかろうと思うのだが、ヒワイは、キコさんとサーヤについては褒めるが、他の宮家について一度だって書いたことはない。
戦前の昭和をご存じの高松宮さま、三笠宮さまもおられた。
高松宮妃は愛子さまがお生まれになって「女性天皇だっていいじゃないの」とおっしゃった方。
しかし、それはスルーしておいて、トモさんが「女性天皇反対と言った」ということは書いた。

要するに、秋篠宮家マンセーというだけの、偏った好みを持っている皇室記者に過ぎない。

ただ、記者歴が長いので、宮内庁あたりにも顔が利く、さらにキコちゃんのおパンツをかぶったとかかぶらないとか2ちゃんねるにも登場するご活躍なのだw

そういう偏った男である。

だいたい、書いた本人が

>想定した読者の第一は天皇・皇后、第二が皇太子ご夫妻ら皇族方で、第三が宮内庁記者クラブの後輩記者たち。第四が宮内庁の役人たち―くらいのつもりで書いてきました。)


何十年と「アキヒト天皇のご学友」の肩書きで食ってきたくせに、その天皇に「長男は嫁がだめだから廃太子して弟につがせろ」という本を上梓し、天皇に献上したという橋本明のマネじゃん。

アキヒトさんは、そのご学友の本を嬉しく思ったんだな?

だから、ヒワイがマネしたんだよ。

しかし、アキヒトさんもヒワイの上から目線の「君主論」をヘイヘイと受け取るのか?
自分たちが褒めてあればそれでいいんだな?

>①(略)このカリスマ性が色あせる時期が来ないとは限らないこと
>②(略)期待が幻滅の運命に陥る時期が来ないとは限らないこと
>③(政治的プレーに出場させることを回避する)この条件が失われることがないとは限らないこと

これがもしかして、自分たちも入っているかも、と不安になったことはないのかい?

徳仁天皇になって、その次が「アホのアーヤ」その次が「アワ坊」となるようだったら、「未来への幻滅」で、徳仁天皇に、「天皇象徴制」の幕を下ろして頂こう、と考える人間はもっと増える。

だって、アホのアーヤは若いときから散々バカさらしているくせに、政治的発言をしょっちゅうかまして、おまけにドヤ顔している、わかっていないお人だってこと、同世代の国民の多くが知ってるもの、未来予測は早くからつきますがなw

----------

昭和天皇は戦争犯罪人である、縛り首にするべきだ、この意見は多かった、終戦間際から。
アメリカ本土では戦死した軍人の遺族たちが中心になって、
GHQは新憲法で「共和制」にすることも考えていた。

日本という国が、ただのアジアの小さな国で、例えば朝鮮みたいに、まぁ放っておいて、人が生きようが餓死しようが大勢に影響はない、利用できるものは利用して、戦利品になるものがあれば取り上げようと考える人間も、占領国側には多くいた。
駐留アメリカ軍には、驚くような「僻地手当」がついていたそうだ。
当の日本の知識人は、かなりの割合で天皇に責任を取らせて、政治からだけでなく「天皇家」というものを廃するべきだという意見が多く、反対に天皇家存続は一般国民に多かった。

幸いなことに?欧米特にアメリカには、日本の研究者が少なからずおり(天皇・女王蜂論)、また知日派もいた。

フェラーズやマッカーサーの助言を得て、かなり強硬な天皇制廃止論者だったトルーマンだが、1945年10月、

天皇制の存廃は日本人民の民意によって決定されるべき


と発言、同じく廃止論者だったチャーチルは黙った。

日本国には民主主義を積極的に指導し、「欧米化」することが決まった。

トルーマンの言葉は、日本国憲法に取り入れられている。




最新コメント
[05/27 射手座]
[05/27 手白香]
[05/27 手白香]
[05/26 brubru]
[05/26 射手座]
[05/26 手白香]
[05/26 brubru]
[05/25 brubru]
[05/25 ウィルヘルミナ]
[05/25 手白香]
[05/25 スーパーコピーウブロ時計]
[05/25 かきつばた]
[05/25 誕生日]
[05/24 こっそり]
[05/24 手白香]
[05/24 一国民]
[05/24 大和三山]
[05/20 射手座]
[05/18 手白香]
[05/15 手白香]
[05/15 ソースがあるから怖くない]
[05/15 まゆ玉]
[05/13 美令]
[05/13 手白香]
[05/12 大和三山]
カレンダー
04 2020/05 06
S M T W T F S
2
3 4 5 6 7 8 9
10 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
25 26 28 29 30
31
フリーエリア
プロフィール
HN:
Mrs Oakley Fisher
性別:
非公開
自己紹介:
「Mrs Oakley Fisher の 台所」の筆頭(あら、えらそうw)管理人が、枕代わりにしている本の感想文を置いています。
バーコード
ブログ内検索
最古記事
(11/05)
(11/05)
(11/05)
(11/14)
(11/14)
(11/19)
(11/20)
(11/20)
(11/20)
(05/20)
(05/20)
(05/20)
(07/25)
(07/25)
(07/25)
(05/01)
(07/05)
(07/05)
(07/05)
(07/06)
(07/06)
(07/06)
(07/07)
(07/07)
(07/07)
忍者カウンター
バーコード